レビー小体型認知症って?

ある日、父がレビー小体型認知症と診断されました。 介護の知識ゼロ。 とにかく頑固、自分のことしか考えない父。 モラハラ、暴力、大声で私と母を支配をしてきた父のことを覚書に書いていこうと思います。


自分の体調不良で父に聞くこともしなかった
はじめてのショートステイの様子。


報告書のような形で父の荷物の中に入っていました。
 

・個室でゆっくり過ごされていました。
・尿失禁が見られます。
・食事は少し残されました。

等、色んな項目に分かれていましたがそんなことが書かれていました。


とりあえずは迷惑かけなかったみたい。

さすがの外面の良さ。


よかった・・・


お風呂は入らなかったみたい。
・・・拒否ったか。



そして、ライターを持って行ってたらしく
取り上げられて封筒に入れて返却されてきていました。


・・・あれだけタバコは吸えないと言ったのに。
(最近は吸ってなかった。)



ま。タバコは持ってないのでクセでライター持って行っただけか?
なんて思ったり。



人付き合いは嫌い、しない。

娘の私でさえも実家に出入りしてると

「来んでいいのに・・・」

と母に愚痴るような人、孤独の人だから

個室でテレビ見ているだけだったみたいなので耐えれたのかなー。



認知症発覚以前、私が子どもの頃から人嫌い。

なので友人も居ない。

公園で犬連れ同士話しているおじいちゃん達を見て普通はこんなもんなんだろうか?

と悩んだりもしました。



この年代の人には多いよ。
と、よく言われてきましたが、特別の変人だと思ってます・・・







----つづく。






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 結局、どんどん私の熱は上がって行き、
それと同時にひどい下痢。


父のショートステイのことが心配にはなりましたが
送迎の方が上手くして頂けたようで

「無事行けましたよー」とメールでご連絡頂きました。


あとは逃げ帰らないことを祈るのみ。


私は起き上がることさえできずに
熱は39度近くまで上がっていました。


GWあけて月曜日の朝。


かかりつけ医に連絡をし、車の中で待機しながら診察して頂くことに。

PCR検査をし、
先生と看護師さんは車の外で私は後部座席に座ったまま診察。


とりあえず胃腸風邪っぽいとのことで薬を出して頂きました。


翌日。

病院に電話、PCR検査は陰性とのこと。
下痢はおさまり始めていることを電話で伝え、やはり胃腸風邪のようで
4日ほど寝込んだのち回復してきました。



問題の父は
PCR検査が陰性だと出た時点でコンビニで買い込み、
食べるものを持って行きました。


相変わらず
「お母さんは?」と聞くばかり。


「入院してるってば。」・・・お前のせいで(心の声)


「なんで入院してんの。」


・・・この会話何回目よ。

「お父さんが世話ばかりかけるから
心労とストレスで心不全起こして入院してるんやってば。」



まだまだ熱が下がり切らない、
数日何も食べれていない状態の体にこのラリーが耐えきれずそう話すと・・・


「はぁぁぁ???
俺が毎日お母さんのおしっこの世話してたんやで!?」

と、大声で怒鳴ります。



・・・いい脳内変換できてるんやなぁ。


この日は何もかも耐えきれず、


「いや、その服見てみ。
おしっこ漏らしてそのまんまやんな?着替えたら?

そんな世話をずっとさせて来てたんやで?

どう思ったら俺が世話してやってるなんて言えるん?

床がおしっこでビチョビチョになっててもお前が掃除しとけ!
って怒鳴り散らしたんやろ?

そんな日が続いたら普通の人間でも倒れるわ。」



自分の状態がわかったのか着替え始めて
今度は黙り込む。


あーーーめんどくさい。


「体調悪いねん。話してたら熱上がるからもう帰るわ。」


そう伝えこの日は帰宅。



体調が良くなり、
仕事に復帰しても毎日のようにこんなラリーをさせられます。


仕事が終わり、父の元へは夜にしか行けず
夜の9時、10時にこのやり取りをさせられる生活が1週間。



何度話しても母が入院していることは覚えていないみたいです。






----つづく。






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徘徊で行方不明になっていたため、
一旦はキャンセルしたショートステイ。


さすがに母の心配と父の面倒、自分の生活を成り立たせるのは無理があり
 ショートステイに行ってもらうことに。


「1泊して来て欲しいねん。」

「約束ねーって話してくれてたん覚えてる?」

「その人が迎えに来るから。」


はじめこそ、大声出し拒否っていましたが


足が痛いと言う父。

そりゃ1日半サンダルで歩いてたなら痛いでしょうよ・・・
と思いながら、


「次の日は先生居てるみたいやから痛いところ全部話してきて。」

と、言うと納得したようでした。



その後、母の入院の荷物を買い出し、
着替えを探して持って行き、色々グッタリで帰宅。



ホッとしたのか・・・


その日の夜。

実家わんこを散歩に連れて行っている最中、
尋常じゃない関節痛と熱が上がってきている感じがして
慌てて散歩を切り上げ熱を計ると


37度9分。


あー。やばい。

病院出入りしてたし、コロナかも。


主人とは別の部屋に籠り様子見。



しんどい・・・
寝返りさえ打てない・・・

起きて水分取ることさえできない・・・

死んじゃうかも・・・


ここから地獄の数日が始まりました。




----つづく。






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母が救急車で運ばれた翌朝。

父が居なくなって1日半ほど経過していました。


母の入院の準備に主人と実家に行くと、

「あれ・・・鍵開いてる。
 慌てて鍵閉め忘れてたとか・・・?」


と、玄関を見ると父の履いて出ていたサンダルがありました。



ええええええ?
帰ってんの!???


と、慌てて父の部屋に行き声を掛けます。


私「どこ行ってたん。」

父「お母さんのな、おしっこのパット買いに行っててん。」




・・・へ?



もう驚き過ぎて言葉も出ません。

今までそんなことしたことないやん・・・



私「いやいや、それにしては1日半やで?」

父「もういいねん。疲れてんねん。」



ふと、テーブルを見ると誰かが書いたような電車の乗り換えの地図が置いてあります。


よく見ると・・・


ゴール地点は▲▲駅。
携帯を落とした次の駅、10年前に住んでいた最寄り駅に向かおうとして
路線図を書いて貰ったみたいです。

丁寧に「〇番線、〇〇行きの各停に乗る。」まで書かれていました。
ありがたい。


それにしても、今住んでいる家の最寄り駅の名前は出なかったのか。


意外に近くには居たようです。
ただ、▲▲駅に行きたいと聞いてしまったため、遠ざかったのかも知れません。


路線図書いて貰っても
常に自転車の人で電車一人で乗れないから・・・

これ以上、どうしてた、どう帰って来た?と聞いても答えないと思うので
この日は諦め、、、



私「とりあえず、1日半居なくなって警察に届けてるから
もうすぐお巡りさんくるってさ。」


父(大声で)「はぁぁぁ???知らん知らん!勝手なことするな。」
怒り狂って怒鳴り散らします。


とにかく全てが大声。

これが昔から大嫌いなところ。
都合が悪くなるとすぐに話をそらして大声で威嚇します。


お陰で私は大声にトラウマしかなく。
人の大声にドキドキするようになってしまいました。


ただ。
この人、他人には本当に人当たりがいいんです。


母と私には長年大声で服従させるよう仕向けて来ましたが
他には愛想よくニコニコいい人。


案の定、警察が来たら声のトーンさえも変わって
「あー、ご苦労さんですなー」

だって。
ホント腹の立つ変わりよう。


警察の人は2人来て父に
「どこ行かれてたんですか?」と父に問いかけると

父は「あーちょっとブラブラと。」


この回答で全てを理解されたようで
父の写真を撮り、帰って行かれました。。。


もう昨日から謝ってばっか。
疲れた・・・


倒れた母も心配なうえ、この状態の父を見るなんてとてもじゃないけど無理。


居なくなったことでキャンセルしていたショートステイを慌てて
またお願いできないかケアマネさんに聞いて頂きました。

結果、行けることになりました。




----つづく。






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母が救急車で運ばれ、
ただただ待つだけの時間・・・

15分遅れくらいで主人が到着。

慌てて出てきたため、わんこにご飯をと思いコンビニでフードを買って
あげてくれたそう。

その後、落ち着きなく待つだけ。

2時間近く待って処置室へ呼ばれました。


母から少し離れて先生からの話しを聞くと
心不全を起こしているとのこと。

普段の父の世話、そして父が居なくなった話をして、

「疲れやストレスからも大きいと思います。
今から入院してもらいますが、それが解決しないと自宅には戻れないと思って下さい。」

「解決しないと繰り返すし、いつどうなってもおかしくありません。」


そんな風な話をされました。


入院の荷物も預けることしかできないらしく・・・
明日また準備して来ますと伝え、この日は帰宅することに。


帰りに母に
「入院なんやって。退院するまで会われへんらしいけど、荷物持ってくるから。」
「携帯も持ってくるから動けるようになったら電話してきて。」


と、伝えると。

母は
「入院なん?」と声にならない声で聞き返され
「うん。がんばりな。」としか答えれず。



結局帰ったのは0時を過ぎていたと思います。



翌朝。

2連続ほぼ寝れず。

朝7時半頃に警察の方が父のことで来られると電話で受けていたので
母の入院の準備もしようと7時頃実家に行くと・・・


そこには驚きの光景が広がっていました。


・・・うそでしょ。







----つづく。






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